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 ◇ 折々の季語と代表的な一句をお届けしてまいります ◇

今月の季語             鈴木五鈴(「草の花」俳句会同人会長)

節 分
(せつぶん)


  すぐ晴れてきて節分の迷ひ雪   藤田あけ烏

 本来は季節の移り変わる時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日を意味するが、特に立春(今年は二月四日)の前日のことをいう。この日は、夕暮れから夜にかけて、神社や寺院で悪鬼を払い疫病を除く追儺が行われる。邪鬼を追い払い新しい春を迎えようとする儀式である。家庭では、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立て、炒った大豆を「福は内、鬼は外」などと大声ではやしながら撒き、その後、門・戸・窓などを堅く閉ざすのである。しかし、大声を張り上げるというのは、なかなか恥ずかしいものである。近所の声や子の期待感に押されて声を出してはみるものの、二声、三声で萎んでしまう。父の真似をして大声を張り上げていた子供の頃が懐かしい。
 掲句は、明日から春、という微妙な季節のこころを詠んで秀抜である。まだまだ寒い日が続き今日は雪までが舞っている。しかし、すぐに空は明るくなり日まで差してきた。まもなく雪は止みそうだ。「ふわふわ」。作者はそれを「迷ひ雪」と造語した。そして「節分の迷ひ雪」と詠む。いかにもこの雪は儚げだし、日差しは柔らかい。「節分」という季節の詩語がとてもよく働いている例である。


春一番
(はるいちばん)

  春一番その狼藉を宥すべし   林  翔

 春になって初めて吹く激しい南風のことをいう。長崎県壱岐地方で「春いち」と呼ばれていた南の突風に淵源する言葉だと言われ、幕末の安政六年(一八五九)二月に、その「春いち」により漁民五十三人が転覆死したことで、にわかに「春一番」が全国に知れわたったという。まさに春嵐の一つである。春二番、春三番と続き、春四番が吹くこともある。しかし、この荒々しい風は暗く悲劇的な意味合いのみではなく、むしろ一般的には、春の訪れの目安になるという、明るいニュアンスで受け止められているようである。
掲句の春一番も、一句の底流には春を迎える喜びの感情が流れている。様々な悪戯をする「春一番」を「宥すべし」と意思表示しているのである。明るい春の前触れとして全身で受け入れているのである。

冴返る
(さえかえる)
  冴え返るもののひとつに夜の鼻   加藤 楸邨

 春になって一度ゆるんだ寒気が、再び戻ることをいう。しかし、注意しておきたいのは「冴え」が「返る」という点であり、単に寒の戻りを意味するわけではない。「冴ゆる」が冬の透きとおるような清浄感のある寒気をあらわしているように、澄み切った光や色を背景とした寒気の戻りを言うのである。音も冴返るのである。「余寒」と同意だが、感覚的には異なる。こうした冬と春のせめぎ合いの日々を経ながら、次第に春の歓びを実感する日々が増えてくるのである。
 掲句では、冴え返るもののひとつとして「夜の鼻」があげられた。作者は人間探求派と称された俳人らしく、自分自身を厳しく見つめる句を多く詠んだ。夜の鼻も冴え返るもののひとつだと詠んだ背景には、何故か鬱屈したものを感じる。暖かくなってきたからといってそう簡単には心を許せない、厳しい現実を見つめなければならない性のようなものをも感じる。「夜の鼻」が主張するところは深い。


いぬふぐり
  いぬふぐり星のまたたく如くなり  高浜 虚子

 春めいた一日、ぶらりと野を散策すると、必ずいぬふぐりに出会う。小さな花だが、無数に散りばめられた青紫色の花々は印象的。日当たり良好な畦や土手には、地表を覆うかのごとく面的にびっしりと広がり、陽光にかがやくいぬふぐりは青空のかけらが散っているようにさえ見える。まさに「いぬふぐり星のまたたく如くなり」である。最初は、掲句は平凡な比喩だと感じていたのだが、いつの間にか「いぬふぐり」と言えば掲句が浮かんでしまい、僕の作句を邪魔するようになってしまっている。今では脱帽せざるを得ない。名句というのはこのように、いつの間にか人の心に棲みついてしまう句のことを言うのだろう、と思っている。
 それにしても「いぬふぐり」とは可哀想な名が付けられたものだ。その二つ並んだ毛のはえた果実が、犬の睾丸(古語でふぐりという)にたとえられたのだという。花よりも目立たないのに、何と理不尽なものだと同情せざるを得ない。良い句を詠んで慰めることにしようではないか。
 なお、身近に見られるのはヨーロッパ原産のおおいぬのふぐりであり、花期はふつう晩秋から初夏までとされ、真冬でも見ることはできる。しかし、季語としてはあくまでも初春の花である。